私たちは、今までどれほど自然の恵みを受けて来ただろうか、そしてそのことにどれだけ自覚的であっただろうか。私の少年時代、山や川には至る所に自然があった。近くを流れる三納川ではミミズをえさに釣糸を垂れるとアブラメ、ハエ、フナなど何匹も掛かった。
夜突きに行けば淵ごとに大きなうなぎが捕れた。上流にはサバのようなアユがそ上してきた。しかし今は様相は一変した。豊かな川をはぐくむ源には、上流域の豊かな森があったが、その森が戦後の拡大造林政策、あるいは開発に伴う伐採でズタズタにされてしまった。
加えて、生活雑廃水や畜産の糞尿、工場の廃液などによる河川の汚染。循環すべき自然のいのちの循環が絶たれたからだ。私とその仲間たちが四年前から私の持ち山、ロキシーヒル(広さ十五ヘクタール)でスタートさせた「豊かな森」づくりは広葉樹とスギの混交林づくりを基本としている。ヤマザクラ、ヤブツバキ、イチイガシ、アラカシ、イチョウ、ケヤキなど九千本を既に植樹した。
ロキシーヒルには独自の「豊かな森へ」と題する憲法がある。そこには、こう記している。「まず木を植えよう。木を植えたら手入れをしよう。ヤマザクラが咲いたら花を見て楽しもう。雑木が増えて木の実が出来て小鳥や獣が増えたら、子供たちと楽しもう。そういう自然を自分たちの手で取り返そう。子供たちは自然から色々なことを体験を通じて体で覚えればいい」と。
木を植えるという行為は何よりも自分のためになる。植樹や育樹に汗を流すことは健康にいい。精神的な潤いも得られる。私が第二の人生を森づくりに賭けようと想ったのは、ジャン・ジオノの絵本「木を植えた男」との出会いが大きい。ジオノはこの本の最後にこう記す。「木を植える営みは神の行いにもひとしい創造」。この一文こそは天啓のように私の進む道を示してくれた。
自分の植えた木がたくさん育つことは愛する妻子、さらには子々孫々にまで恵みをもたらすだろう。なぜなら「豊かな森」には小鳥がさえずり、カブト虫やクワガタ、チョウチョウやトンボなどが多数生息し、落葉は腐葉土となり「緑のダム」ができるからだ。腐葉土から出る植物ブランクトンは色々な生き物、中でも昔のようにうようよと魚のいる川を育てるだろう。
今問われているものは人間と自然(山、川、海、草二木、魚)との共生である。経済優先で人間の精神の荒廃が進む今、未来世代である子供たちが自然を畏れ、その神秘や不思議さを感じ取る能力を身につけることが中でも緊急の課題だろう。私たち市民グループと行政が協力し「森の恵み」にもっと自覚的となる事業を展開していく必要性を感じている。
「悠久の森から」抜粋。 |